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現在読んでいるのはこの本です。
「四声の連結」を終え、次回からはこれまで扱ってきたC maj.から見たサブドミナント・スケールのF maj.やドミナント・スケールのG maj.で、これまで同様の連結を練習するようです。そういう意味では、次回以降当面は応用問題のようなもの。基礎中の基礎とでも呼べる部分はとりあえず終わったと思ってよいでしょう。もちろん上行ないし下行の5度進行や先取進行についての説明が『和声学入門』ではなされていませんし、ケーデンスの話も出てきていません。ダイアトニック・コードにおける代理コードの話などなど、これからまだまだいろんな話題は出てくることになるはずですが、与えられたメロディにコードを与えるもっとも基礎的な手順は、一応確認できたことになるようです。
他方、そのような基礎中の基礎の範囲で限定しても、どうも『和声学入門』の話しにはよく分からない部分があます。そういったところが今後説明されるのかもしれませんが、ともかくここまでやってきたことを振り返って、思うところを述べてみたいと思います。
「四声の連結」を終え、次回からはこれまで扱ってきたC maj.から見たサブドミナント・スケールのF maj.やドミナント・スケールのG maj.で、これまで同様の連結を練習するようです。そういう意味では、次回以降当面は応用問題のようなもの。基礎中の基礎とでも呼べる部分はとりあえず終わったと思ってよいでしょう。もちろん上行ないし下行の5度進行や先取進行についての説明が『和声学入門』ではなされていませんし、ケーデンスの話も出てきていません。ダイアトニック・コードにおける代理コードの話などなど、これからまだまだいろんな話題は出てくることになるはずですが、与えられたメロディにコードを与えるもっとも基礎的な手順は、一応確認できたことになるようです。
他方、そのような基礎中の基礎の範囲で限定しても、どうも『和声学入門』の話しにはよく分からない部分があます。そういったところが今後説明されるのかもしれませんが、ともかくここまでやってきたことを振り返って、思うところを述べてみたいと思います。
これまで、メロディに対して、トライアドを、メロディも含めた四声でコード付けし、ヴォイシングする練習をやってきたのですが、当初は和音記号が問題に書き込まれていました。ところが、最後の数問になって「自分でよいと思うコードを当ててみろ」という話になり、「そもそもどういう基準でコードを当てるものなのか」に関する規則を与えられていないことが問題となりました。
そこで、これまで解いてきた問題の傾向から翻って、次のような処理を行いました。
こうしたことを振り返って見ると、小学5、6年生以上向けに「いちばんやさしい」を謡い文句としながらも、「難しい理屈は抜き」を言い訳として、なし崩しで規則を押し付け、訓練・調教するようなスタンスが採用されていることに、正直疑問を通り越して、怒りすら覚えます。
また、『和声学入門』冒頭では、二部合唱や三部合唱を例に取り、メロディに対して3度でハモらせる規則が紹介されていたことから(恐らく対位法の基礎の基礎……の基礎のような話)、ここからコードが帰納されるのかと思いきや、いきなりトライアドの説明が出てきました。
そんなわけで、『和声学入門』が訓練・調教しようとするルールがどのような理屈に基づいているものなのかを、印象ですら連想できないんですよね。
ただ、そういう処理がなされていることから推察するに、
ともかく、次回以降『和声学入門』を続けて読んでいきますが、これも『和声の歴史』を読むには前提知識があまりに希薄なオイラが〈悪い〉。このペースでどれだけかかるか分かったものではありませんが、地道にやっていきます。
あ、そうそう、こうしたことを通じてふくらんだ疑問があります。それは
ベース・ラインは、目下の所ルートを並べて作っていますが、そのルートがどこから取り出されるか? というと、上で述べたように、
ですから、メロディがなければルートも限定できないことになります。
ところが、ルートとは英語のroot、それこそ木の根っこですし、その「上に」音が積み重ねられることでコードが成立するというイメージが、少なくともオイラにはあります。あ、オイラがそう思ってるってことではなくて、コードにおけるルートという言葉からはそう言うイメージでそう言う言葉が当てはめられているのではないか? と思える、と言うことです。恐らく、ポピュラーの人にはこれと似たようなイメージがあるものと思います。
だとすると、ルートがコードの土台であり、このルートがなければコードを構成できないことになりそうです。ところが、上で確認したように、『和声学入門』の発想では少なくとも目下の所、メロディをソプラノに位置づけ、そのソプラノとコード・ノートが一致するようなコードを主要三和音の中から選択した結果、へ音部に付け足されるバスが、今のところルートなわけです。主要三和音に限定したとはいえ、むしろイメージとしては、
たとえばC maj.の脈絡でメロディがEだとします。トライアドの主要三和音からコード・ノートにEが含まれるものを探すと、Cしかありませんから、ルートがCと決定されます。ですが、もし7th系の主要三和音という「ルール」を作ればどうでしょう? Eをコード・ノートに含むコードとしては、CM7とFM7の二つが選択肢となります。このため、一見当たり前の話のようですが、
このように、ルートとは土台と言うより、さしあたり掘り下げたところでしかないのだとすれば、ポピュラー的なルートのイメージ、概念は修正を迫られることになります。
和声学の前提となるコードについて、これはかなり根幹的な話だと思うのですが、このような議論を、少なくともオイラは見たことがありません。
ルートとは何か? という問題について、『和声学入門』を読み続けることで何か分かるといいですね。
そこで、これまで解いてきた問題の傾向から翻って、次のような処理を行いました。
- 建前は調号から、実際は他のスケールが登場しないことから、C maj.の脈絡と決めてかかる。
- いわゆる主要三和音しかまだ登場していないため、選択肢をこの3つに限定してしまう。
- メロディはコード・ノートが用いられ、ソプラノで担われることから、用いうるコードを限定する。
- 用いうるコードが複数存在するときは、『和声学入門』ではまだ説明されていない上行ないし下行5度進行をまずは当てはめ、無理な箇所では先取進行を当てはめる。なお、練習問題の中には同じコードが3小節連続する事例もあった。
こうしたことを振り返って見ると、小学5、6年生以上向けに「いちばんやさしい」を謡い文句としながらも、「難しい理屈は抜き」を言い訳として、なし崩しで規則を押し付け、訓練・調教するようなスタンスが採用されていることに、正直疑問を通り越して、怒りすら覚えます。
また、『和声学入門』冒頭では、二部合唱や三部合唱を例に取り、メロディに対して3度でハモらせる規則が紹介されていたことから(恐らく対位法の基礎の基礎……の基礎のような話)、ここからコードが帰納されるのかと思いきや、いきなりトライアドの説明が出てきました。
そんなわけで、『和声学入門』が訓練・調教しようとするルールがどのような理屈に基づいているものなのかを、印象ですら連想できないんですよね。
ただ、そういう処理がなされていることから推察するに、
- 恐らく歴史的には「メロディ」が先、オブリガードを与える対位法が次に成立した??
- 複数のオブリガードを与えた結果、コードが成立する
- よって、ハーモニー(コード進行)はメロディにオブリガードが施されることで、「結果的に」成立したもの
- そこを逆手にとって、コード進行を先に定める「和声学」も成立
- 『和声学入門』は、対位法と和声学をごちゃ混ぜにして、両方のもっとも基礎的な部分を、有無を言わさず押し付けるスタイルで示している(よって説明はしていない)
ともかく、次回以降『和声学入門』を続けて読んでいきますが、これも『和声の歴史』を読むには前提知識があまりに希薄なオイラが〈悪い〉。このペースでどれだけかかるか分かったものではありませんが、地道にやっていきます。
あ、そうそう、こうしたことを通じてふくらんだ疑問があります。それは
- ルートとは何か??
ベース・ラインは、目下の所ルートを並べて作っていますが、そのルートがどこから取り出されるか? というと、上で述べたように、
- メロディが、スケールに適う主要三和音(しかもトライアド限定)のコード・ノートと一致するように設定
ですから、メロディがなければルートも限定できないことになります。
ところが、ルートとは英語のroot、それこそ木の根っこですし、その「上に」音が積み重ねられることでコードが成立するというイメージが、少なくともオイラにはあります。あ、オイラがそう思ってるってことではなくて、コードにおけるルートという言葉からはそう言うイメージでそう言う言葉が当てはめられているのではないか? と思える、と言うことです。恐らく、ポピュラーの人にはこれと似たようなイメージがあるものと思います。
だとすると、ルートがコードの土台であり、このルートがなければコードを構成できないことになりそうです。ところが、上で確認したように、『和声学入門』の発想では少なくとも目下の所、メロディをソプラノに位置づけ、そのソプラノとコード・ノートが一致するようなコードを主要三和音の中から選択した結果、へ音部に付け足されるバスが、今のところルートなわけです。主要三和音に限定したとはいえ、むしろイメージとしては、
- ルートはコードの土台
- メロディから掘り下げて、「この辺でやめておこう」と作業をやめることで辿り着いた音
たとえばC maj.の脈絡でメロディがEだとします。トライアドの主要三和音からコード・ノートにEが含まれるものを探すと、Cしかありませんから、ルートがCと決定されます。ですが、もし7th系の主要三和音という「ルール」を作ればどうでしょう? Eをコード・ノートに含むコードとしては、CM7とFM7の二つが選択肢となります。このため、一見当たり前の話のようですが、
- メロディがどのコードに含まれると見なすか? によって、ルートが変わる
このように、ルートとは土台と言うより、さしあたり掘り下げたところでしかないのだとすれば、ポピュラー的なルートのイメージ、概念は修正を迫られることになります。
和声学の前提となるコードについて、これはかなり根幹的な話だと思うのですが、このような議論を、少なくともオイラは見たことがありません。
ルートとは何か? という問題について、『和声学入門』を読み続けることで何か分かるといいですね。
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COMMENT
HN:
べぇす
性別:
男性
趣味:
音楽(素人レベル)
自己紹介:
一応趣味でベースを弾く。
……けど、だれだっていいじゃん、オイラなんか!
◎音楽関係のプロフィール
・ベース歴: 15年以上
・譜面の読み書き: 不自由
・初見演奏: 無理
・利用譜面エディタ: Allegro 2007→Finale 2010
・利用DTMソフト: Music Creator 2
※楽理関係を扱ったことを書いていますが、上記のように音楽については素人です。書かれている内容を鵜呑みにされないよう、ご注意ください。
……けど、だれだっていいじゃん、オイラなんか!
◎音楽関係のプロフィール
・ベース歴: 15年以上
・譜面の読み書き: 不自由
・初見演奏: 無理
・利用譜面エディタ: Allegro 2007→Finale 2010
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