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楽理一般がメイン、一応。とはいえ書いているヤツは素人ですので、誤解・勘違い・間違いも多いかと思います。色々教えてください!
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濱瀬元彦の名前は以前から気になっていたし
実際『ブルーノートと調性』って本も買ったが
おいらの知識が未熟過ぎて読みこなせなかった
というか、まるっきり読めていない

では、なぜ濱瀬の本が気になったのかというと
ようはオイラがいじけただけなのだが
理論や五線譜表記の慣習が分からないまま
自分で作編曲して譜面を書いたら
「こんなの読めない」とか
「こうきたら普通こうでしょ? あんたの曲はこうだよ? ね? 変でしょ!」
などと言われたものの
オイラにはなんのことやらさっぱり理解できなかったことから

・人様と共演すべく譜面を書くからには知っていなければならないことが相当あるらしい

と気づかされた
他方、上記のようなことを言う人以外は
はっきり言ってオイラと同程度かそれ以下の知識しかないまま
バンド活動しているのを実際目にしていたこともあり

・慣習に即して細部が違う程度の音楽なら知識不要らしい
・なまじっか自分なりに何かをする場合には、慣習との渡りを付けなければならないらしい

と見当を付け、自分なりにポピュラー系の
楽理本を読んでみたのだが、はっきりいって訳が分からず
濱瀬の本もそういう訳の分からない本の一冊だった訳だ

幸い、その後東川清一『だれも知らなかった楽典の話』を読み
ようやく音楽の基本的なことが分かった気になり
ポピュラー系の楽理本も初歩的なことなら理解できるようになったが
ちょっと突っ込んだ話になるとポピュラー系楽理が理屈になっているとは思えず
(つまり、説明が説明になっているようには到底思えず)
東川体験を思いだし、いっそクラシック系の本を読んだ方が
まだ理屈になっていて理解できるのでは? と思うようになり
最近ではシェーンベルクや、やはり東川『旋法論』を読んでる次第

ともかく、そういう経緯で濱瀬の名前に接していた程度なので
音楽学者としては何やら良く分からない議論を展開している人
という認識はあったものの、ミュージシャンとしてはさほど注意していなかった

ところが、偶然ローランドのメルマガで濱瀬の名前を目にし
なんと最近アルバムを出したというので、試しに買って聞いてみた

うーん、どういうんだろう?

感涙にむせぶようなことはないし
かと言ってけっしてコマーシャルな音楽にも思えなかったものの
良質なBGMというか、ソロの出だしがスケール練習のように聞こえたりとか
なんてんだろうなぁ?
内包のない、外延だけの音楽、のように聞こえたのだが
ともかく、スケール練習のように聞こえるソロの出だしも
展開していくとおもしろくなってくるし
きっと、感覚・感性だけで音楽をすることをよしとせず
理屈の裏付けをして、全て理解しないと気が済まない!
という態度で臨むことで、それこそスケール練習っぽいフレーズは
「何もかくしてないぞ、このスケールの曲だぞ」と
明確に提示しているのかもしれない、という気がする

ただ、ローランドのメルマガに紹介されるほどなので
6弦フレットレスや、共演者が使う最低弦がF#の6弦ベースなどで
GK機器を駆動してガンガンシンセ音源を使い
エフェクターも使っているという意味では
きっとローランドから資金や機材の協力があったんだろうし
そういう意味では実は思いっきりコマーシャルに作ったのだろう

ただ、80年代から90年代にかけての
それこそWin95登場に象徴されるような
いかにもかつて夢想されたような「夢の21世紀」に向かうかのごとく
色んなことがハイテク化していく一方で
明らかに不景気の後押しによってだけ(音楽的な必然性は全くなしに)
アコースティック系がもてはやされる一方で
いかにもハイテク、他方で実は人件費削減による
テクノ系音楽の浸透(なぜかジュリアナの解体と相前後して)など
エレクトリック音楽自体は衰退したのだな

つまり、打ち込みで作ったオケを「録音したものを」カラオケとして使うか
アコギやピアノ、ハーモニカなどで伴奏して歌うかするような音楽がもてはやされ
シンセやエレクトリック楽器を「人間が」プレイする音楽は
見る影もなくなってしまったのだな

そんな中、90年代以降は数年かけてジャズと同期ものの共存が
ホントに可能か? なんて、オイラに言わせればどうでもいい論争が
けっこうマジメに展開していたような気がする

そこに登場した濱瀬の新譜だ
同期ものは使っていないが
GKでシンセを鳴らし、音はおもいっきりエレクトリックだが
全部人間がやってます、という音楽
時流に照らせば端的にひねくれているのだが
当然、企業(ローランド)が乗っかっている
しかも、曲のタイトルに使われていた
The End of Legal Fictionがバンド名
これ、吉本隆明の著作「擬制の終焉」を英訳したものだそうで
含意が複雑に入り組んでいるような気がする
吉本の本は読んでいないので音楽のつながりは分からないんだけどね

ただ、GKの追従にかんして、楽器に取り付けるのではなく
組み込んでいる(インストールしている)だの
不景気の中、趣味で音楽をやる者には手が出せないような話も出てくるし
なんとなく浮世離れした印象はあるな

だからなんだ、といわれても
なにもないんだけどね(汗)

"The End of Legal Fiction" Live at JZ Brat
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HN:
べぇす
性別:
男性
趣味:
音楽(素人レベル)
自己紹介:
一応趣味でベースを弾く。

……けど、だれだっていいじゃん、オイラなんか!


◎音楽関係のプロフィール
・ベース歴: 15年以上
・譜面の読み書き: 不自由
・初見演奏: 無理
・利用譜面エディタ: Allegro 2007→Finale 2010
・利用DTMソフト: Music Creator 2

※楽理関係を扱ったことを書いていますが、上記のように音楽については素人です。書かれている内容を鵜呑みにされないよう、ご注意ください。
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