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Innerviewsにアップロードされたインタビューの翻訳です。
Allan Holdsworth
Harnessing momentum
by Anil Prasad
Copyright © 2008 Anil Prasad. All rights reserved.
前回インタビューしたときは、ずいぶん熱心にバリトン・ギターに取り組んでたよね。最近はどういうギターを選んでるの?
スタインバーガーをベースにしたバリトン・ギターをプレイするのは辞めたよ。持ち運ぶ荷物が増えちゃうからね。ここ数年で、ギターを2、3本持ち込んで飛行機に乗るのは現実的ではなくなったし。だから、Wardenclyffe Towerの 曲をプレイしなくなったんだ。バリトン・ギターをかなり使ったからね。残念だよ。移調することもできるけど、響きが変わっちゃうからね。だから、バリト ン・ギターはもうほとんど使ってないし、バリトン・ギターが必要な曲は棚上げにしてるんだ。バリトン・ギターをプレイしてくれって頼まれれば、レコーディ ング向けに引っ張り出すことならあるかもね。1曲合いそうなんだ。最近では特にビル・デラップ(註1) が作った、ボディが木製のヘッドレス・ギターを使ってるよ。ヘッドレス・ギターに夢中なんだ。ヘッドのあるボディが大きいギターに戻るのは大変なんだ。プレイしてもちっともしっくり来ないんだ。デラップのギターは完全にカスタムだけど、全てスタインバーガーをベースにしてるんだ。スタインバーガーのトランストレムとヘッドピースを使ってるしね。

(註1) デラップのサイトはドメインは取得されているが、コンテンツがない。ホールズワースの使用機材についてはこちらで簡潔に紹介されている。
トニー・ウィリアムズへのトリビュート企画の一環で、この前までアラン・パスクァとツアーしてたよね。どういういきさつで実現したの?
アラン(・パスクゥア)がヨーロッパをツアーしたときのプロモーターが提案したんだ。「アラン(・ホールズ ワース)とまたやってみない?」ってね。これがきっかけで、二人でこのアイディアが巧くいくかどうか話し合ったんだ。彼にはよく電話したものだよ、たいて いは彼のアルバムを聴いたときに。彼のプレイは大好きだから。それで、「ちょっとトニーにトリビュートしよう」って考えたんだ。リハーサルしてみたら良い 感じだったし。この企画を実験と捉えて、何が起こるか見てみることにしたんだ。トニーへのトリビュートとして、新曲をスタジオでレコーディングすることも 相談しているんだ。最後にトニーとプレイしてから30年経つんだね。歳を自覚するよね。
ウィリアムズとの思い出は?
信じられないような驚きだったよ。トニーからはたくさん学んだし。オレが共演するミュージシャンにアプローチの仕方を一切示さないのは、彼に由来するんだ。トニーがオレに対して何も示さなかったからね。トニーはオレに自分で考えさせてくれたんだ(註2)。トニーのそばに立って「オレはどうすれば良いんだい?」って聞いたもんだよ。彼はオレに、自分でどうすればいいのかを探させたんだ。ゲイリー・ハズバンドが初めてオレとプレイしたとき、彼がオレのアルバムを事前に何枚か[some of my albums]聞いてきたのが分かったから、彼がアルバムから聞き取った感じでプレイするようにしたんだ(註3)。すぐ彼に言ったよ、「それはレコーディングの時にインプロヴァイズした結果であって、そのとき起こるべくして起こったものでしかないんだ。レコードは忘れて、自分自身のプレイをしてくれ」って(註4)。
(註2)元の表現は「He would let me dig myself a hole.」で、直訳すれば「彼は私に自分で穴を掘らせたものだ」。辞書ではdig oneself a holeと のイディオムが見つからなかったが、訳したような意味合いだろう。ともかく、ここから「何をやっても認めてくれた」と短絡してはならない。ウィリアムズが 好ましいと思った方向性自体はあったにせよ、それに即してその通りにプレイするよう強いたりはせずに、プレイヤーがそういう好ましい方向を自分で見つけ出 すのを待ってくれた、と言うことだと思われる。後に続くジャコに関わる話を参照。
(註3)ホールズワースの実質的なファースト・アルバムこそがゲイリー・ハズバンドが参加した“I.O.U”であることから、ここでハズバンドが聞いたとされるホールズワースのアルバムとは何なのかが不明。他のミュージシャン名義のアルバムであれば、some of my albumsなどとは言わないだろう。
(註4)アドリブ・フレーズを作編曲されたものとは受け取らず、自分なりにインプロヴァイズせよ、ということであって、作編曲によって定められた曲調まで無視して良い、という話ではないだろう。
トニーのようなプレイをする奴はいないよ。彼がジャズ路線をやめて、ライフタイムでやったもの──なんと呼 んで貰っても良いけど、フュージョンかな?──に転じたとき、ドラムをあんな風に叩く人を誰も聞いたことなんてなかったんだ。オレは未だに聞いたことがないよ。アレは彼自身のものなんだ。オレがバンドにいたのはたった2年。マネージメントや予算の問題で短い任期だったよ。しばらく彼の家で暮らしたんだ。彼の高層マンション[a tall townhouse]がニューヨークの141丁目とブロードウェイにあって、一番上の2階分を使っていなかったものだから、そこにオレを置いてくれたんだ。しょっちゅう一緒にプレイしたものさ。彼はいつも人を招いてたよ。しばらくライフタイムにはオレとトニーの二人しかいなかったから、いい人が見つかるまでベーシストが何人も来たんだ。ジェフ・バーリンとジャコ・パストリアスも来たな。1975年の12月頃だね。あの頃は楽しかったな。
パストリアスとウィリアムズのリズム・セクションとプレイするってどんな感じ?
とにかく凄かったよ。ジャコが大好きだったなぁ。リハーサルの一部は録音してあるはずだけど、今どこにあるのかは分からないな。聞くのは恥ずかしいだろうけどね。トニーはジャコよりも手数が少ないベーシストを探していたんだ。彼はベース部門[the bass division]に何か特別なものを求めていたんだ。ジャコはホントに良い奴で、おかしなベーシスト[a ridiculous bass player]だったなぁ。彼らとプレイ出来てホントに良かったよ。
……けど、だれだっていいじゃん、オイラなんか!
◎音楽関係のプロフィール
・ベース歴: 15年以上
・譜面の読み書き: 不自由
・初見演奏: 無理
・利用譜面エディタ: Allegro 2007→Finale 2010
・利用DTMソフト: Music Creator 2
※楽理関係を扱ったことを書いていますが、上記のように音楽については素人です。書かれている内容を鵜呑みにされないよう、ご注意ください。