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楽理一般がメイン、一応。とはいえ書いているヤツは素人ですので、誤解・勘違い・間違いも多いかと思います。色々教えてください!
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ここのブログを音楽専門ネタ向けとして更新を再開することにした
『和声の歴史』『ラーメンたべたい』など中途半端になっているネタもあるが
その後の関心の変化などもあるので、ネタは新に設定し直す

当面は Don Grolnick "Pools" を素人なりに色々確認しようかな?

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もしかすると著作権などの面でヤバいかもしれませんが、オイラが自分で耳コピーしたAllan Holdsworth"Texas"のテーマの一部です。

Texas_A_C.jpg

基本的に参照したのはCDの音源です。



ベースについてはこの箇所ではDave Carpenterがエレクトリック・ベースでかなり細かく動いているため、なんてんだろう? 中心音というか軸音というか(ホント、こういった用語の使い分けが正直言って未だによく分からない)、そういう音で簡略化してあります。

また、耳コピーは、きっとそんなに正確ではないんだと思います。オイラがギターを弾けないため(^◇^;) コードのヴォイシングについてはギターの指版で考えることが出来ないんですよね。ですから、ギターをプレイする人に言わせれば、「こんなヴォイシングはあり得ないぞ」とか色々問題点を見つけられると思います。それでも、ホールズワースが相手ですから、規約的・慣習的なコードではない可能性が多々あるので、非ギタリストが純粋に耳に頼って考えればこうなる、という例として見て頂ければ。

また、コード・ネームは、行毎に独立させて書いています。慣習的にはスコアとして垂直に全体を見渡した上でコード・ネームを与えるべきなんでしょうが、オイラは行毎のヴォイシングの関係を考える上で、行毎に独立したコード・ネームを与えたり、コードとバスを分けて考えたり、スケール/モードとの関わりを考える方が、「オイラ自身は」現時点では分かりやすいので、こういう慣習に反した書き方になっています。

あと、何かもくろみがある訳ではないんですけど、いずれDTMにMIDIデータを渡す可能性も視野に納めて、人に見せるための譜面であればオタマジャクシに書かれないであろう残響(?)の類も明記しています。

分かる人が見れば「間違いだらけ」と言われ兼ねない譜面を示したのは、いくつか理由があります。

ここ最近和声関係のことをやっているうちに、水野が言うポピュラーでは「極論として調性とコードを別々に考えられる」(『水野式音楽理論解体新書 著者:水野正敏 ポピュラー音楽を学ぶ上で必要な理論体系の新機軸 』p.122)ことの重大さが、何となく分かってきた気がするのです。

恐らく、クラシック的には何らかのメロディが先にあって、そのメロディときれいにハモるような音を加えていくことで和声・ハーモニーが先に出来あるがるのであって、そういう和声をある時点で切って垂直に眺めた結果、後付でスタティックな和音・コードを取り出せるんだと思います。

対して、水野の言っていることを「極論」との留保が付いている事に留意しつつも文字通りに受け止めれば、メロディから判定される調性(むしろスケール)と、アレンジされるコード(及びコードが連なったハーモニー)とは、それなりに関係はあるものの、独立したものとして捉えられ得る、と言うことになるんだと思います。それこそメロディからスケールを割り出したら、メロディとハモるような声部・パートを作るかどうかは二の次で、スケールを踏まえた機能和声のケーデンスを機械的に割り当てることが出来て、せいぜいそれを分割・統合する(Ⅱ←→Ⅱ-Ⅴ)とか、代理コードに置き換えるとか、そういう考え方をするんだろうと思います。

その上で、ホールズワースの楽曲は、かつてはボーカリストにテーマのメロディを歌わせていたものの、近年のインスト志向、しかもアラン・パスクァとの共演を例外とすればギター・ベース・ドラムのトリオでプレイすることを前提とするかのような作編曲が成されていることを考えれば、仮にメロディを先に作曲しているのだとしても、そのメロディから判定されるスケールに適ったコードを機械的に当てはめるのでは、ライブで再現できないものになりかねないという事情が作用していると考えられます。すると、それこそホールズワースが言うところの「コード・ソロ」的な手法で作編曲されるのも当然のことと言えそうです。



そういう観点で、オイラが耳コピーした譜面を眺めると、メロディに相当すると見なしうるトップ・ノートの動きは、ソプラノの声部進行に相当し、コード・ソロ的に与えられた他の声部は、クラシック的な声部進行に近いものとしても捉えることが出来そうな気もするんですよね。

その上で、今取り組んでいる『和声学入門』と照らすと、平行5度の禁則に当たるような動きも見られるような気がするのも、面白いなぁと。あるいは、これはオイラの耳コピーが間違ってるだけ?

──だからなんだ?? と言われても何とも答えようがないんですが(^◇^;) そのときそのときにやっていることと、これまでに仕入れたこととの関連が気になるとしばらくそこで考えたりするので、〈計画的な〉勉強って奴がまるで出来ないオイラは(だから受験の類には向かない)、端から見ると非効率きわまりない方法で物事に取り組んでいる、という言い訳です(なんだそりゃ??)

ちなみに、万一このサイトをご覧の方で「オレも"Texas"を耳コピーしたぜっ」と言う方がいらっしゃれば、譜面を交換しませんか? お互いの譜面を比較することで、お互いに何か発見があるかもしれないし。
GW、暦通りに休めるという珍しい事態も、給料日前で懐事情が良くなかったた上後半は雨続きだったので部屋でごろごろするだけで終わってしまいました。暇ならこりブログを更新しろよって話ですが(^◇^;) とりあえず休ませて頂きました。

で、ソルフェージュの本ですが、入手しました。



結論から言うと、悪い本ではないものの、オイラの目的には適いませんでした。

この本の良い点は、ポピュラーの人の間でも普及している固定ドを用いて、高校生以上の、そこそこ頭が固くなった大人でも抵抗なくこなせる訓練素材を厳選している点です。また、前書きを読むと、ソルフェージュの範囲は、どうも実践的な(五線譜を通じて人音楽のやり取りをする)意味合いでは音楽の全てと言っても過言ではなさげなのですが、だからこそ楽典や楽理には深入りせず(その代わり入り口までは案内する形で)、副題にある「読譜・リズム・視唱」に絞って書かれています。ここで言われている「読譜」は、音高の読み取りです。「リズム」は、拍やパルスといった基本的な概念の説明から始まる、連桁も踏まえた譜割りの読み取りです。「視唱」はは「読譜」「リズム」を踏まえて、五線譜を見て的確な音高で歌うことです。クラシックを前提にしているだけに、ポピュラーではまず見かけない各種音部記号も登場しますが、なかなか実践的です。

他方、オイラが「これはちょっと」と思えた点は、固定ド唱法を「ドレミ読み」としている点です。一応階名と音名の区別は説明しているのですが、その上で固定ドを採用するならそう言えば良いものを、「ドレミ読み」などと言うのですから、階名(移動ド)唱法等存在しない、ドレミで読むと言えばドレミ読み=固定ド読みしかあり得ない、との含意が滲んでるんですよね。しかも、ほんの5行程度の説明でこの話を済ませてるんですよね。イヤ、視唱の上で「ハニホ」や「エー・ビー・シー」はイマイチ、と言うのも分かるし(それでも中学1年で歌わされる「ABC」の歌だってあるんだから、英米式音名での視唱って、やってやれないことはない気もするんですけど)、だから音名代わりにドレミを代用するならそれで構わないんですが、階名や移動ドの存在を抹消するかのように「ドレミ読み」なんて言い方をするのはどうなんでしょう? 素直に「固定ド読み」とでも言えば済む話です。

後は、純粋にオイラの目的に照らすと、情報不足で事典的な使い方は出来ないってのは困りものですね。やはり個人的な意見ですが、1ページがA4くらいの大きさなので、自宅で使うには広げたときに場所を取りすぎるのは、やっぱり不便ですね。飽くまで、なんだ? 小学生が使うような言い方だと、ドリルやワークみたいな位置づけなので、譜面台に載せて使うことを考えているのかもしれませんが、その割には活字や譜例は小さくて、譜面台に載せてちょっと離れて読むのは不便かも? 机に座って読むには問題ないんですが、だったら新書版や単行本のようなサイズの方が持ち運びするにも便利。更に、ページ数が少なくてホントしては薄っぺら。背がすぐ折れそうです。そういう意味では、装丁はイマイチだと思います。

ただ、内容はいいですよ。固定ドを使っているとあらかじめ分かった上で使うなら、頭の固くなった大人にも使えるし、それでも十分初歩的なことから始めているので。オイラも、音高は英米式音名に読み替えてこれをきっちりやるべきなんだろうなぁ(^◇^;)
先日から読んでいる『和声の歴史』だが、オイラにソルフェージュの下地がないため、譜例や語法だけで結構戸惑っている。また、過去に黄色い楽典を読んだときの記憶を呼び起こしてみると、『和声の歴史』で使われる「旋法」のような、なんてんだろな? ポピュラーと露骨に違うと思しき用語法が使われていた覚えが全くないのだな。東川清一の語法についても、「均」以外のほとんどは、ポピュラーで使われている言葉の日本語訳だった気が。。。すると、やはりクラシックでも「どの国の手法や伝統に準拠するか?」で言葉遣いや概念同士の関連づけ、理論構築のあり方などに違いがあるのかもしれない??

というわけで、『和声の歴史』がフランス人の著者によって書かれていることから、フランス系のソルフージュを扱った本で、基礎的なことを一通り押さえた方が良さそうな気がしてきました。で、図書館の蔵書を検索してみたりもしたのですが、やはりほとんどが幼児教育のための素材だったり、むしろ音楽教師向けの指導方法に関する本だったり。

そういえば、そもそも「ソルフェージュ」って、英語で相当するのが「ソルファ」で、どっちにしても階名(ないしイタリア語音名)のソとファから成り立っているようだし、ほぼ同義語だと思うんですが、英語の別な表現である「ソルミゼーション」に至ってはソとミが組み合わされていることからしても、要は譜面を見て的確な音名なり階名で、適切に歌う訓練であって、語学に例えると基本的な文字(五十音やアルファベット)を覚えて、音読したり書き取りしたり、というものみたいです。こんなのって、理屈「以前」ですから、仕方がない。「仕方がない」というのは、日本人が日本語文法について「係り結びの法則」だの「副詞の呼応」だのって事柄を理解する以前に、そもそも日本語を使えてますよね? 同じような感覚で、楽典や楽理なんぞ知らなくても、とりあえず五線譜見て読んだりプレイしたりが出来るようになるってのが、どうやらソルフェージュの目的なんじゃないか? って気がするんですよね。だとすると、理屈以前の話に理屈を求めること自体おかしい、と言うことにもなりそうです。

他方、たとえば英語教育について「文法偏重」を批判して「コミュニカティヴな能力育成」が謳われるようになって随分経ちますが、そういった立場が主張する方法で教育を受けたと思しき若い世代の人がペラペラ英語を読み書きしているところって、見たことないんですよね。オイラ自身の経験から言って、学校英語の文法が〈理論〉として十分とは到底言えないにしても、一切の理屈がないよりはあった方が遙かにマシで、少なくとも構文を分析して理解出来ない箇所の品詞や文法的な役割(主語、動詞、目的語、補語、副詞句)を推測して、辞書を引く際に語尾などをどうすればよいか? などなどといったことについては、結局学校で習った文法が下地になければ、話にならないんですよね。そういう意味では、ソルフェージュ自体が訓練目的で理屈以前だとしても、それは「学校文法は知っていてもチョムスキーの生成文法を知らない」のと同じようなもので、色んな理論的立場の違いを確認するための前提となる語法が従っている理屈という意味では、ソルフェージュにも十分な理屈は内在していて、その理屈を英語の学校文法並みに説明することは可能なはず、とオイラには思えてなりません。そういうソルフェージュに内在する理屈を説明している本、あって不思議はないと思うし、そう言う理屈を「リトミックならこういう訓練の仕方を提唱する」「トニック・ソルファなら」「コダーイ・メソッドなら」……と色んな流派が自らの優位を主張するんなら、とても話の構図が分かりやすいんですけどね。英語だって、忘れた頃に新たな理屈が提唱されますが、結局は「学校文法ではこう処理するのを、新たにこう捉えた方が分かりやすくないか?」という類で、読者には学校文法が前提として要求されてるしね。学校文法は、中学生や高校生向けの学習参考書で、とりあえず誰でも確認出来る。ソルフェージュと各種理論(というより手法?)も同じような関係なら、ソルフェージュを修得する訓練とは別に、ソルフェージュ自体の内在的な理屈を説明する本があって不思議はないと思うんだけどな。

そんなわけで、図書館の蔵書を検索しても見つからないんじゃ、やっぱり思い切って本を買って読んでみるしかないだろうってことで、アマゾンを検索してみました。音大受験向けの参考書なんかだと専門的すぎるだろうし、下手に学術的なものはなおさら読みこなせない。かといって幼児教育向けのものはオイラの目的には役立たない。何かないか???

──と探していて、なんとなくよさげに思えたのがこちら。



表紙の拡大画像を見ると、カタカナのタイトルの下にフランス語(だよね??)が見える(冠詞? のdeは、MÉTHODEのDEとリエゾン? するのかな?)。レビューは1件だけですが、その評価は非常に高いし、副題が「読譜・リズム・視唱」となっているのも興味深い。以前、連桁の書き方ってどうすればよいのか? という疑問を述べたこともあるんですが、そういうごくごく基本的なことも押さえられそうだし。

というわけで、中身が分からないまま(そこらの書店の店頭には、置いてなさそうなので)注文しちゃいました(^◇^;) 届いたら、ザッと目を通して、『和声の歴史』を読む際に、事典的に活用できればいいんですけどね。
元々、『スケールとモード』というカテゴリーを設けて、ドミナント・コード向けコード・スケールについてチマチマやっていたのは、Allan Holdsworthの教則本"Melody Chords for Guitar"に登場した「ディミニッシュ・ドミナント・スケール」がどこから出てきたのかを解明したかったから、でした。



前回までで、一応オイラなりにドミナント・コード向けコード・スケールについては確認したつもりなのですが、どうも依然すっきりしないところがあります。それこそ、当初はドミナント・コード向けコード・スケールの問題に直接取り組んでいたのですが、次第に近親キーとの関わり、平行音階を前提にした上での変化音の表記などなど、より根源的には「まるで分かっていない」という感覚がどんどん大きくなっていったのです。

しかも、肝心なディミニッシュ・ドミナント・スケールについてはやっぱり分からないままです。外延としては、ディミニッシュ・スケールのM7を省略しただけのものなのですが、このディミニッシュ・スケールの解釈自体、水野の本の記述を一応踏まえた上でケリは付けたものの、今ひとつしっくり来ないままです。



また、別なサイトでディミニッシュ・ドミナント・スケールの話を載せた際にコメントくださった方から、「モードの初歩だ」との指摘もありました。モード(フリジアンだなんだといったモードそのものではなく、モードを前提とした作編曲法、むしろ「モーダル・ライティング」とでも言うべきなんでしょう)については、正直言って、少なくとも理屈としては「なんだかよく分からない」ため、コメントに登場した本を読むことも考えたのですが、さしあたり日本語で読める楽理本を元に、ドミナント・コード向けコード・スケールの話をしたのには、それなりに訳があります。概念を整理したかったのです。
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HN:
べぇす
性別:
男性
趣味:
音楽(素人レベル)
自己紹介:
一応趣味でベースを弾く。

……けど、だれだっていいじゃん、オイラなんか!


◎音楽関係のプロフィール
・ベース歴: 15年以上
・譜面の読み書き: 不自由
・初見演奏: 無理
・利用譜面エディタ: Allegro 2007→Finale 2010
・利用DTMソフト: Music Creator 2

※楽理関係を扱ったことを書いていますが、上記のように音楽については素人です。書かれている内容を鵜呑みにされないよう、ご注意ください。
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