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というのも、実は記事編集中にパソコンがフリーズしてそのまま書いていた記事が失われてしまったんです。
また一から書く気にはなれないので(^_^; ここまでの段階で"Just for the Curious"との違いを示しておくことにします。
"Just for the Curious"では、むしろホールズワースがスケールから構成するコードは、コード・シンボルでは表記できないようなコードでした。対して、"Melody Chords for Guitar"は、コード・シンボルを見ての伴奏ないしコード・ソロの方法を示すと言うわけです。ですから、"Melody Chords for Guitar"で取り上げられるコードは、コード・シンボルで表記可能な一般的なコード、と言うことになります。
その上で、コード・ソロを射程に収めていることをどう捉えるべきか?
ホールズワース自身、初期の頃はメロディを埋めるためにボーカリストを呼んでいたことからして、元もとはメロディを作曲して、そのメロディに伴奏のコードを付ける、というポピュラー一般の図式を踏襲していたものと思われます。他方、彼独自のスケールへのアプローチとそこからのコード構成を通じて、メロディとコードの区別が、ホールズワースにとっては極めて曖昧なものとなっていき、次第に(本人無自覚の内に)統合されていったのではないか? ──これが、オイラがホールズワースを聞いて思いついた仮説で、"Just for the Curious"を読んで、ホールズワースの方法論がこのような統合を促したのではないか? と思えるようになりました。
ですが、このような統合を促す別な要因として、「コード・ソロ」も数えられるのではないか? という気がしてきました。
そもそもコード・ソロとはなんなのか? 語義・定義を示すサイトはちょいと見つかりませんでしたが、ジョー・パスによるコード・ソロの分析を行っているサイトは見つかりました。恐らく、メロディ・ラインとコードを同居させる、ブロック・コードでのプレイなんだろうと思います。この、ブロック・コードをギターに当てはめ、結果的に無伴奏でプレイしたものをコード・ソロと言うのかもしれません。
すると、このコード・ソロの方法を使えば、メロディとバッキング・コードを同居させることができ、メロディのためにボーカリストを呼ばなくても良くなる??
このようコード・ソロをギターで行うことも、コードとメロディの統合を促したのではないか? と言う気がします。
"Just for the Curious"では、一般的なスケールやコードから離れ、むしろホールズワースが実際にやっていることが扱われたように思います。対して、"Melody Chords for Guitar"は、逆に一般的なスケールとコードを、コード・ソロに繋がるように、ホールズワース流に処理すればどうなるか? が扱われているように思われます。そういう意味では、"Melody Chords for Guitar"は一般的なコードやスケールという制約にはまっていると言う意味で、扱っている範囲は狭いと言えそうですが、それだけに、ホールズワース的な発想を、一般的な脈絡で理解しやすく提示しているとも言えそうです。
だとすれば、先に"Melody Chords for Guitar"を読み、その後"Just for the Curious"に取り組んだ方が、ホールズワースの理解が進むかもしれませんね。
また一から書く気にはなれないので(^_^; ここまでの段階で"Just for the Curious"との違いを示しておくことにします。
"Just for the Curious"では、むしろホールズワースがスケールから構成するコードは、コード・シンボルでは表記できないようなコードでした。対して、"Melody Chords for Guitar"は、コード・シンボルを見ての伴奏ないしコード・ソロの方法を示すと言うわけです。ですから、"Melody Chords for Guitar"で取り上げられるコードは、コード・シンボルで表記可能な一般的なコード、と言うことになります。
その上で、コード・ソロを射程に収めていることをどう捉えるべきか?
ホールズワース自身、初期の頃はメロディを埋めるためにボーカリストを呼んでいたことからして、元もとはメロディを作曲して、そのメロディに伴奏のコードを付ける、というポピュラー一般の図式を踏襲していたものと思われます。他方、彼独自のスケールへのアプローチとそこからのコード構成を通じて、メロディとコードの区別が、ホールズワースにとっては極めて曖昧なものとなっていき、次第に(本人無自覚の内に)統合されていったのではないか? ──これが、オイラがホールズワースを聞いて思いついた仮説で、"Just for the Curious"を読んで、ホールズワースの方法論がこのような統合を促したのではないか? と思えるようになりました。
ですが、このような統合を促す別な要因として、「コード・ソロ」も数えられるのではないか? という気がしてきました。
そもそもコード・ソロとはなんなのか? 語義・定義を示すサイトはちょいと見つかりませんでしたが、ジョー・パスによるコード・ソロの分析を行っているサイトは見つかりました。恐らく、メロディ・ラインとコードを同居させる、ブロック・コードでのプレイなんだろうと思います。この、ブロック・コードをギターに当てはめ、結果的に無伴奏でプレイしたものをコード・ソロと言うのかもしれません。
すると、このコード・ソロの方法を使えば、メロディとバッキング・コードを同居させることができ、メロディのためにボーカリストを呼ばなくても良くなる??
このようコード・ソロをギターで行うことも、コードとメロディの統合を促したのではないか? と言う気がします。
"Just for the Curious"では、一般的なスケールやコードから離れ、むしろホールズワースが実際にやっていることが扱われたように思います。対して、"Melody Chords for Guitar"は、逆に一般的なスケールとコードを、コード・ソロに繋がるように、ホールズワース流に処理すればどうなるか? が扱われているように思われます。そういう意味では、"Melody Chords for Guitar"は一般的なコードやスケールという制約にはまっていると言う意味で、扱っている範囲は狭いと言えそうですが、それだけに、ホールズワース的な発想を、一般的な脈絡で理解しやすく提示しているとも言えそうです。
だとすれば、先に"Melody Chords for Guitar"を読み、その後"Just for the Curious"に取り組んだ方が、ホールズワースの理解が進むかもしれませんね。
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COMMENT
HN:
べぇす
性別:
男性
趣味:
音楽(素人レベル)
自己紹介:
一応趣味でベースを弾く。
……けど、だれだっていいじゃん、オイラなんか!
◎音楽関係のプロフィール
・ベース歴: 15年以上
・譜面の読み書き: 不自由
・初見演奏: 無理
・利用譜面エディタ: Allegro 2007→Finale 2010
・利用DTMソフト: Music Creator 2
※楽理関係を扱ったことを書いていますが、上記のように音楽については素人です。書かれている内容を鵜呑みにされないよう、ご注意ください。
……けど、だれだっていいじゃん、オイラなんか!
◎音楽関係のプロフィール
・ベース歴: 15年以上
・譜面の読み書き: 不自由
・初見演奏: 無理
・利用譜面エディタ: Allegro 2007→Finale 2010
・利用DTMソフト: Music Creator 2
※楽理関係を扱ったことを書いていますが、上記のように音楽については素人です。書かれている内容を鵜呑みにされないよう、ご注意ください。
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