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趣味でベースは弾くものの、ギターは弾けないし、楽理にも疎いオイラが、ホールズワース的な発想を少しでも理解したくて始めた「Just for the Curious ノート」シリーズ。元ネタのDVDと本はこちらっ
今回は、まとめです。DVDに納められているPDFファイル(ビデオに付録していたブックレットをデータ化したもの)や、"Just for the Curious"の第2部も参照し、ホールズワースの考え方を改めて確認します。
趣味でベースは弾くものの、ギターは弾けないし、楽理にも疎いオイラが、ホールズワース的な発想を少しでも理解したくて始めた「Just for the Curious ノート」シリーズ。元ネタのDVDと本はこちらっ
今回は、まとめです。DVDに納められているPDFファイル(ビデオに付録していたブックレットをデータ化したもの)や、"Just for the Curious"の第2部も参照し、ホールズワースの考え方を改めて確認します。
まず、DVDのブックレット(p.23)から、ホールズワースの「スケール」の捉え方を確認します。
ところが、ホールズワースは、コード進行を「音の家族」の交代と見なす訳です。
もちろん、上で示したコード進行をスケールに当てはめる解釈を否定するわけではないでしょう。ですが、ホールズワースの捉え方は、「コード進行すなわち転調」と言っているに等しいのではないか、と思います。
この点を、"Just for the Curious"(p.27)でも確認しましょう。スタングはこんなことを書いています。
よって、ナンバー・システムで分析可能なコード進行が見いだされるということは、ホールズワース的には、むしろそのようなメロディが作曲されているものと捉えてよいのかもしれません。その上で、そのようなコード進行に「載せて」、ソロに対するバッキングをする場合は、作曲されたメロディとしてのコードをもちろん繰り返してもいいのでしょうが、スケールに適っていれば、元の脈絡を踏まえた上で、自由なヴォイシングのコードで代理させても良い、ということになるのでしょう。すると、Cメジャー・スケールから取り出されたDm7が指定されているところで、機能和声的にはまったく異なるCM7をプレイすることも、脈絡に適い、プレイヤーが違和感を感じなければ、可能といえそうです。
他方、恐らくホールズワースは、元のコードを代理させる際に、機能和声的に全く異なる機能のコードを使ったりはしないと思います。スタングの指摘にもあるように、敢えて曖昧なコードを作るからです。むしろ、機能和声的には機能を特定しづらいようなコードを使うんでしょう。なにしろ、ホールズワース自身は作曲で、コード・ネームを与えること自体が困難なコードを使うんでしょうから。ですから、機能和声的に説明が付くコードで作曲されたものにホールズワースが取り組む際は、そのような元の脈絡を尊重し、敢えて機能が異なるコードをぶつけるのではなく、むしろ元のメロディをホールズワースなりに、スケールの音をフルに使ってコードを構成し直健戸になるんだと思います。おそらく、この例としてこのアルバムを聴くこともできるかと思います。
ともかく、この様に捉えてよいのであれば、ホールズワースはメロディとしてのラインと、コードとを、統合していると言ってよいかと思います。
では、ホールズワースのこの様な視点、捉え方は、どのように形成されたのでしょう?
DVDのブックレット(p.74)を見てみます。
ただ、キーボードと違って、ギターでは手の都合、基本形では押さえられず、転回形で対応することが出てくるとは言えるでしょう。すると、この転回形故に、基本形とは響きの雰囲気などが変わってくることは、あるかもしれません。すると、そもそも標準的なコードの転回形である必要があるのか? という疑問が沸くことなら、あるのかもしれません。
また、あるコードに使えるスケール、という意味で、例えばCM7ではCイオニアンが使える、Dm7にはDドリアンが使える……って、要はどっちもCメジャー・スケールじゃん! という話なら、理解できます。どの音から弾き始めるか、ポジションがどこになるか、という違いはあっても、指板全体を眺めた場合、プレイする際に押さえるべき弦とフレットの場所は同じです 。
こうしたことから、コードとスケールの関係を捉え返したのかもしれません。その結果、標準的なコードじゃなくてもいい、スケールに適っていれば代理可能、というレベルに達し、ついにはメロディとコードの統合が、おそらくは無意識のうちに、結果的に、なされたのではないか? という気がします。
ただ、その後ホールズホースはこういう本も出しています。
このため、もしかすると、メロディとコードとの「自覚的な」統合もなされたのかもしれない、という気がしますね。
ともかく、オイラなりにホールズワース的発想のエッセンスは理解できたような気がするので、残りはブログに書かず、地道に自分で読んでいこうと思います。
なお、DVDには"Funnels"という曲が納められています。DVDに納められたバージョンは、まさにメロディとコードが渾然一体となったプレイなのですが、コードとメロディがむしろ区別された、と言いたくなるようなバージョンもあります。
↓ クリッカブルです

オイラには、この"Atavachron"が、ホールズワースが比較的一般的なメロディとコードの区別をしていた最後のアルバムではないか? と言う気がします。
ともかく、"Just for the Curious"ノート、一応完結です。
- スケールを「音の家族」と見なす。
- コードは家族の一部に過ぎない。
- スケールの名前はどの家族を指すのか特定し、人に伝えるためにある(が、ホールズワースは特定の為だけに名前を使う)。
- スケールに始まりや終わりはなく、楽器の音域故に、その楽器でプレイ可能な最高音、最低音が限界付けられるに過ぎない。
- よって、スケールの名前で、特定のルートを示している訳でもない。
- 7音のスケール(ダイアトニック・スケール)に7つの異なる名前を与えたりもしない(むしろこれらは同じ一つのスケール)。
- もちろん、スケールの始まりが変われば響きがどう変わるかを聞いて覚えることは重要だ。
- 和声は自由に動くべき。
- よって、コード進行に連れて、単にコードが変わったと捉えるのではなく、「音の家族」自体が動いたものと見なすべき。
ところが、ホールズワースは、コード進行を「音の家族」の交代と見なす訳です。
もちろん、上で示したコード進行をスケールに当てはめる解釈を否定するわけではないでしょう。ですが、ホールズワースの捉え方は、「コード進行すなわち転調」と言っているに等しいのではないか、と思います。
この点を、"Just for the Curious"(p.27)でも確認しましょう。スタングはこんなことを書いています。
- 一般的なコードのヴォイシングを使うよりも、むしろ個々のコードを「家族の」一員と見なす。
- 家族の名前は、コードが取り出されるスケールの名前。
- 家族から取り出される音のどんな組み合わせであっても、一般的なコードのヴォイシングを代理しうる。
- もちろん、どのようにして代理させるかは、プレイヤーの好み、一般的なコードのヴォイシングが成す脈絡による。
- ホールズワースによる代理のさせ方は極めてメロディアスで、単音のラインやアルペジオに結びつけられている。
- ホールズワースが用いるヴォイシングには2nd, 4th, 5thが登場するが、こうすることで、コードがメジャー系か、マイナー系かをわざと曖昧にしている。
よって、ナンバー・システムで分析可能なコード進行が見いだされるということは、ホールズワース的には、むしろそのようなメロディが作曲されているものと捉えてよいのかもしれません。その上で、そのようなコード進行に「載せて」、ソロに対するバッキングをする場合は、作曲されたメロディとしてのコードをもちろん繰り返してもいいのでしょうが、スケールに適っていれば、元の脈絡を踏まえた上で、自由なヴォイシングのコードで代理させても良い、ということになるのでしょう。すると、Cメジャー・スケールから取り出されたDm7が指定されているところで、機能和声的にはまったく異なるCM7をプレイすることも、脈絡に適い、プレイヤーが違和感を感じなければ、可能といえそうです。
他方、恐らくホールズワースは、元のコードを代理させる際に、機能和声的に全く異なる機能のコードを使ったりはしないと思います。スタングの指摘にもあるように、敢えて曖昧なコードを作るからです。むしろ、機能和声的には機能を特定しづらいようなコードを使うんでしょう。なにしろ、ホールズワース自身は作曲で、コード・ネームを与えること自体が困難なコードを使うんでしょうから。ですから、機能和声的に説明が付くコードで作曲されたものにホールズワースが取り組む際は、そのような元の脈絡を尊重し、敢えて機能が異なるコードをぶつけるのではなく、むしろ元のメロディをホールズワースなりに、スケールの音をフルに使ってコードを構成し直健戸になるんだと思います。おそらく、この例としてこのアルバムを聴くこともできるかと思います。
ともかく、この様に捉えてよいのであれば、ホールズワースはメロディとしてのラインと、コードとを、統合していると言ってよいかと思います。
では、ホールズワースのこの様な視点、捉え方は、どのように形成されたのでしょう?
DVDのブックレット(p.74)を見てみます。
- プレイし始めたころは、教則本に紹介されるスケールを、「どんなコード上でのプレイに使えるか?」との観点から捉えていた。
- 当時は、指板全体を捉えるよりも、むしろポジションで捉えていた。
- この様な形でスケールを練習した時は、同じスケールを別な音から始めたものをプレイしているとは気づいていなかった。
- コード・シェイプ(コード・フォームのこと??)も同様に捉えていたが、同じシェイプのコードが、本の別なページには、別な名前で紹介されているのに気づいた。
- 通常、ギターのコードは4音で構成されるが、このため、ギターにおけるコードの命名や判別が曖昧となる。
- これは、ギターの本性による。
- そこで、別な捉え方を模索した。
ただ、キーボードと違って、ギターでは手の都合、基本形では押さえられず、転回形で対応することが出てくるとは言えるでしょう。すると、この転回形故に、基本形とは響きの雰囲気などが変わってくることは、あるかもしれません。すると、そもそも標準的なコードの転回形である必要があるのか? という疑問が沸くことなら、あるのかもしれません。
また、あるコードに使えるスケール、という意味で、例えばCM7ではCイオニアンが使える、Dm7にはDドリアンが使える……って、要はどっちもCメジャー・スケールじゃん! という話なら、理解できます。どの音から弾き始めるか、ポジションがどこになるか、という違いはあっても、指板全体を眺めた場合、プレイする際に押さえるべき弦とフレットの場所は同じです 。
こうしたことから、コードとスケールの関係を捉え返したのかもしれません。その結果、標準的なコードじゃなくてもいい、スケールに適っていれば代理可能、というレベルに達し、ついにはメロディとコードの統合が、おそらくは無意識のうちに、結果的に、なされたのではないか? という気がします。
ただ、その後ホールズホースはこういう本も出しています。
このため、もしかすると、メロディとコードとの「自覚的な」統合もなされたのかもしれない、という気がしますね。
ともかく、オイラなりにホールズワース的発想のエッセンスは理解できたような気がするので、残りはブログに書かず、地道に自分で読んでいこうと思います。
なお、DVDには"Funnels"という曲が納められています。DVDに納められたバージョンは、まさにメロディとコードが渾然一体となったプレイなのですが、コードとメロディがむしろ区別された、と言いたくなるようなバージョンもあります。
↓ クリッカブルです


オイラには、この"Atavachron"が、ホールズワースが比較的一般的なメロディとコードの区別をしていた最後のアルバムではないか? と言う気がします。
ともかく、"Just for the Curious"ノート、一応完結です。
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COMMENT
HN:
べぇす
性別:
男性
趣味:
音楽(素人レベル)
自己紹介:
一応趣味でベースを弾く。
……けど、だれだっていいじゃん、オイラなんか!
◎音楽関係のプロフィール
・ベース歴: 15年以上
・譜面の読み書き: 不自由
・初見演奏: 無理
・利用譜面エディタ: Allegro 2007→Finale 2010
・利用DTMソフト: Music Creator 2
※楽理関係を扱ったことを書いていますが、上記のように音楽については素人です。書かれている内容を鵜呑みにされないよう、ご注意ください。
……けど、だれだっていいじゃん、オイラなんか!
◎音楽関係のプロフィール
・ベース歴: 15年以上
・譜面の読み書き: 不自由
・初見演奏: 無理
・利用譜面エディタ: Allegro 2007→Finale 2010
・利用DTMソフト: Music Creator 2
※楽理関係を扱ったことを書いていますが、上記のように音楽については素人です。書かれている内容を鵜呑みにされないよう、ご注意ください。
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