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というわけでこちらのノートです。ページに従えば、そろそろ「旋法」に関する凡例的な記述を検討することになるのですが、オイラが読んだ限りでは本文の説明と譜例(というか表というか)が噛み合っていないように思えるので、本格的な話は本文で旋法に触れられたとき、改めて確認することにしたいと思います。今回は、用語として押さえておくべき旋法を確認するに留めます。
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なかなか中身に入っていけないんですが(^◇^;) 概念確認の続きです。
『和声の歴史』の目次は前回示した通りですが、「第1章 概論」は決して全体の概論・要約ではなく、全体を記述する際に前提とする用語や概念の確認に費やされています。他方、こういった概念や用語はクラシック系のものであり、オイラのような小中学校で習った音楽に関する極めて中途半端な知識と、独学による断片的なポピュラー系の知識しかない者にとっては、こういった概念・用語を把握するだけでもかなり骨が折れる作業となります。
ともかく、そういった概念・用語を今回からしばらく掛けて確認します。
なお、日本語訳は縦書きで印刷されているのですが、五線譜は横書きです。本来横書きの五線譜に記される注釈の一種と言えるような様々な記号の類について、クラシック系の人など、既に知っている人には「ああ、あの話ね」と素通りできるようなことであっても、オイラには「これはどう『読む』んだ?」とか、縦書き印刷の都合配置が狂っているかどうかも分からないとか、そういうことが色々出てきます。加えて、ブログで表記可能な文字の配置にも限界がありますので、場合によってはオイラの紹介の仕方にも問題が生じ、クラシック系の人が読んでも「???」となる可能性もあるかと思います。こうした点については、是非コメントなどの形でご指摘頂ければ助かります。
ともかく、そういった概念・用語を今回からしばらく掛けて確認します。
なお、日本語訳は縦書きで印刷されているのですが、五線譜は横書きです。本来横書きの五線譜に記される注釈の一種と言えるような様々な記号の類について、クラシック系の人など、既に知っている人には「ああ、あの話ね」と素通りできるようなことであっても、オイラには「これはどう『読む』んだ?」とか、縦書き印刷の都合配置が狂っているかどうかも分からないとか、そういうことが色々出てきます。加えて、ブログで表記可能な文字の配置にも限界がありますので、場合によってはオイラの紹介の仕方にも問題が生じ、クラシック系の人が読んでも「???」となる可能性もあるかと思います。こうした点については、是非コメントなどの形でご指摘頂ければ助かります。
オイラには馴染みのないクラシック系の語法を用いた、音楽史の本『和声の歴史』をオイラにどこまで読み解けるか? 非常に不安ですが(^◇^;) 行けるところまで行ってみます。
『和声の歴史』と言うくらいですから、そもそも「和声」とは何だ? と振り返ってみると、実は内実・意味がよく分からないんですよね(^◇^;)
個々の楽音(ジングル・ノート)が重なって和音(コード)になるってのはあまりに当たり前なんですが、じゃあ「和声(ハーモニー)」って何だ? と改めて考えてみると、オイラは「そういえば何だっけ?」と当惑してしまうんですよね。他方、機能和声的に説明が付くコード進行で、特にトニック・コードへ戻るパターンを「ケーデンス(クラシックでは「カデンツ」って言うんでしたっけ?)」と言うようですが、素朴に考えられる限りで、この程度であれ(かなり大雑把ながら)一応「こんなんじゃないかな?」という説明ができる用語・概念もあるにはあるんですよね。ところが、「和声」については、「ケーデスン」ほど専門的って感じがせず、ごくごく当たり前のように使っている割には、こんな素朴なレベルの説明すら出来ないんですよね。
そこで、まずは音楽用語としての専門的な定義以前に、日常的に音楽を話題にしたとき「和声」といった場合、どのような意味になるのか? について、まずは国語辞典のレベルで確認しておきましょう。専門的な定義は、もしかすると楽派や理論的立場によって、より厳密に・狭義に限定されているかもしれません。対して、日常的な語義は、だからこそ理論的に異なる立場であっても、恐らくは外すことが出来ない共通の基盤とでも言えそうな部分を抑えているのではないか? と思うからです。
楽天の辞書には、こんな語義が紹介されています。
すると、「和声」は「和音」が前提にあり、その和音が連なったものが和声であり、各楽派や理論による違いがあるとすれば、和声法、つまり和音の連ね方に関する説明の仕方や規則に見いだされるものとと考えてよいでしょう。
その上で「和声の歴史」と言うからには、当然「和音」成立以後でなければ問題に出来ないのでは? と言う気がします。
とりあえずこの程度の確認を踏まえて、まずは『和声の歴史』の目次を見てみましょう。
『和声の歴史』と言うくらいですから、そもそも「和声」とは何だ? と振り返ってみると、実は内実・意味がよく分からないんですよね(^◇^;)
個々の楽音(ジングル・ノート)が重なって和音(コード)になるってのはあまりに当たり前なんですが、じゃあ「和声(ハーモニー)」って何だ? と改めて考えてみると、オイラは「そういえば何だっけ?」と当惑してしまうんですよね。他方、機能和声的に説明が付くコード進行で、特にトニック・コードへ戻るパターンを「ケーデンス(クラシックでは「カデンツ」って言うんでしたっけ?)」と言うようですが、素朴に考えられる限りで、この程度であれ(かなり大雑把ながら)一応「こんなんじゃないかな?」という説明ができる用語・概念もあるにはあるんですよね。ところが、「和声」については、「ケーデスン」ほど専門的って感じがせず、ごくごく当たり前のように使っている割には、こんな素朴なレベルの説明すら出来ないんですよね。
そこで、まずは音楽用語としての専門的な定義以前に、日常的に音楽を話題にしたとき「和声」といった場合、どのような意味になるのか? について、まずは国語辞典のレベルで確認しておきましょう。専門的な定義は、もしかすると楽派や理論的立場によって、より厳密に・狭義に限定されているかもしれません。対して、日常的な語義は、だからこそ理論的に異なる立場であっても、恐らくは外すことが出来ない共通の基盤とでも言えそうな部分を抑えているのではないか? と思うからです。
楽天の辞書には、こんな語義が紹介されています。
わせい 1 【和声】
音楽で、和音を継続的に連ねたもの。また、その連ね方。特に、一定の法則(和声法)に基づく和音連結を指していう。ハーモニー。
すると、「和声」は「和音」が前提にあり、その和音が連なったものが和声であり、各楽派や理論による違いがあるとすれば、和声法、つまり和音の連ね方に関する説明の仕方や規則に見いだされるものとと考えてよいでしょう。
その上で「和声の歴史」と言うからには、当然「和音」成立以後でなければ問題に出来ないのでは? と言う気がします。
とりあえずこの程度の確認を踏まえて、まずは『和声の歴史』の目次を見てみましょう。
元々、『スケールとモード』というカテゴリーを設けて、ドミナント・コード向けコード・スケールについてチマチマやっていたのは、Allan Holdsworthの教則本"Melody Chords for Guitar"に登場した「ディミニッシュ・ドミナント・スケール」がどこから出てきたのかを解明したかったから、でした。
前回までで、一応オイラなりにドミナント・コード向けコード・スケールについては確認したつもりなのですが、どうも依然すっきりしないところがあります。それこそ、当初はドミナント・コード向けコード・スケールの問題に直接取り組んでいたのですが、次第に近親キーとの関わり、平行音階を前提にした上での変化音の表記などなど、より根源的には「まるで分かっていない」という感覚がどんどん大きくなっていったのです。
しかも、肝心なディミニッシュ・ドミナント・スケールについてはやっぱり分からないままです。外延としては、ディミニッシュ・スケールのM7を省略しただけのものなのですが、このディミニッシュ・スケールの解釈自体、水野の本の記述を一応踏まえた上でケリは付けたものの、今ひとつしっくり来ないままです。
また、別なサイトでディミニッシュ・ドミナント・スケールの話を載せた際にコメントくださった方から、「モードの初歩だ」との指摘もありました。モード(フリジアンだなんだといったモードそのものではなく、モードを前提とした作編曲法、むしろ「モーダル・ライティング」とでも言うべきなんでしょう)については、正直言って、少なくとも理屈としては「なんだかよく分からない」ため、コメントに登場した本を読むことも考えたのですが、さしあたり日本語で読める楽理本を元に、ドミナント・コード向けコード・スケールの話をしたのには、それなりに訳があります。概念を整理したかったのです。
前回までで、一応オイラなりにドミナント・コード向けコード・スケールについては確認したつもりなのですが、どうも依然すっきりしないところがあります。それこそ、当初はドミナント・コード向けコード・スケールの問題に直接取り組んでいたのですが、次第に近親キーとの関わり、平行音階を前提にした上での変化音の表記などなど、より根源的には「まるで分かっていない」という感覚がどんどん大きくなっていったのです。
しかも、肝心なディミニッシュ・ドミナント・スケールについてはやっぱり分からないままです。外延としては、ディミニッシュ・スケールのM7を省略しただけのものなのですが、このディミニッシュ・スケールの解釈自体、水野の本の記述を一応踏まえた上でケリは付けたものの、今ひとつしっくり来ないままです。
また、別なサイトでディミニッシュ・ドミナント・スケールの話を載せた際にコメントくださった方から、「モードの初歩だ」との指摘もありました。モード(フリジアンだなんだといったモードそのものではなく、モードを前提とした作編曲法、むしろ「モーダル・ライティング」とでも言うべきなんでしょう)については、正直言って、少なくとも理屈としては「なんだかよく分からない」ため、コメントに登場した本を読むことも考えたのですが、さしあたり日本語で読める楽理本を元に、ドミナント・コード向けコード・スケールの話をしたのには、それなりに訳があります。概念を整理したかったのです。
HN:
べぇす
性別:
男性
趣味:
音楽(素人レベル)
自己紹介:
一応趣味でベースを弾く。
……けど、だれだっていいじゃん、オイラなんか!
◎音楽関係のプロフィール
・ベース歴: 15年以上
・譜面の読み書き: 不自由
・初見演奏: 無理
・利用譜面エディタ: Allegro 2007→Finale 2010
・利用DTMソフト: Music Creator 2
※楽理関係を扱ったことを書いていますが、上記のように音楽については素人です。書かれている内容を鵜呑みにされないよう、ご注意ください。
……けど、だれだっていいじゃん、オイラなんか!
◎音楽関係のプロフィール
・ベース歴: 15年以上
・譜面の読み書き: 不自由
・初見演奏: 無理
・利用譜面エディタ: Allegro 2007→Finale 2010
・利用DTMソフト: Music Creator 2
※楽理関係を扱ったことを書いていますが、上記のように音楽については素人です。書かれている内容を鵜呑みにされないよう、ご注意ください。
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