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楽理一般がメイン、一応。とはいえ書いているヤツは素人ですので、誤解・勘違い・間違いも多いかと思います。色々教えてください!
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しばらくご無沙汰してました。

自宅のデスクトップにインストールしてあるUbuntu Linux9.04のブラウザをFirefox3.5にしたところ、ブラウザの動作がおかしくなった挙げ句、元の状態にも戻せないため、四苦八苦してました(^◇^;)

ともかく、ここの更新が滞った直接的な原因は、同じコードを同じヴォイシングで繋ぐとき、平行5度の禁則はどの程度有効なのか? という問題です。前回整理しましたが、練習問題の模範解答がこうなっているコード進行があります。

19ex6_3.jpgこの、6-7小節がⅤ→Ⅴという同じコードの「連結」になっていて、へ音部はオクターブずれているものの、ト音部では6小節目で完全5度を形成するG-Dがそのままの音高で7小節目にも登場しているため、禁則となっている平行5度に該当するはずのものです。ところが、これが「模範解答」となっていることから、なぜここでは容認されているのか? を問題としている訳です。

結論から言って、オイラなりにさんざん考えましたが、説明のしようがありません。ちなみに。オイラ自身は平行5度を回避する意味もあって、次のような連結がよいのではないか? と思っています。

19ex6_2.jpg最後の2小節は他にも色々いじりようがあるでしょうから、オイラが出した「回答」がベストだという気はさらさらありません。

で、上でも述べたように、平行5度が登場する模範解答がどうして容認可能なのかについては、依然オイラには説明できないのですが、こじつけめいた話と留保した上で、2点述べておきたいと思います。

一つは、「タイで繋ぐ」ことです。『和声学入門』で示された連結の規則の中に、(ポピュラー系の語彙で言い換えると)コモン・ノートは同じ音高で連結する、と言うものがあります。特に『和声学入門』には説明がないものの、譜例では、同じ音高で繋がれたコモン・ノートには、タイが付いていました。おいらはこのタイを、単にコモン・ノートを見やすくするために漬けられたものとしか見なしていなかったのですが、もしかすると、和声学の規則として、同一音高で繋いだ・コモン・ノートにはタイを付けて一音として奏でる、なんてことが、件の規則(コモン・ノートを同じ音高で繋ぐ)には含まれているのかもしれません。

すると、同じコードを繋ぐ場合、コード・ノート全てがコモン・ノートとなるため、全ての音をタイで繋ぐこととなり、模範解答のようになるだけではなく、繋げられた各コート・ノートを一音として奏でることになります。ホント、うろんなのですが、このため、実はこれらは二つのコードが繋げられたのではなく、最初から一つのコードだったので、連結の問題ではそもそもなかった、と言える可能性がある訳です。

もう一つは、今回の練習問題には、メロディが無く、コードとベース・ラインが示されているのみだという点です。メロディが16部音符でアンティシペートしていれば、コードの切り替わりは、ベース、ドラムによるリズムの区切りと揃えて16部音符アンティシペートさせることがあります。もちろん、テクノ系などループするパターンはスクウェアなまま、なんてこともありますけどね。ともかく、コードやリズムの譜割りをどうするか? は、基本的にはメロディが無ければ考えようがない訳です。

ところが、現在取り組んでいる練習問題は、それこそ練習問題に過ぎず、とりあえずはベース・ラインに合わせたコード・ヴォイシングを考え、それを踏まえての連結のみを扱っており、そもそも譜例には合わせるべきメロディが記されていないんですよね。そういう意味では、ベースのみオクターブ変えて同じコードを繋がせようとするこの練習問題自体が不適切なのであって、平行5度の禁則自体の有効性はそのまま、と見なすのが妥当ではないか? という気がしないでもありません。

いずれの解釈が正しいにせよ、他の解釈があるにせよ、ここに拘泥していても仕方がないので、とりあえず先に進んでみることにします。

ここが気になっていたところに加えて、ちょいと仕事が忙しかったり、冒頭で述べたパソコンのトラブルもあって更新が滞っていましたが、近々再会します。

とりあえず、これまでの感想を。

オイラはギターやキーボードが出来ないので、コード・ヴォイシングを考えたのは、自分なりに譜面エディタを使って作編曲するようになってからです。他方ポピュラーのコード理論では、ケーデンスの説明のような機能和声に基づいたコードの「選択」と「連結」は問題にするようですが、ヴォイシングはむしろ「アレンジ」の話として処理されるように思われます。他方、アレンジといっても、確実にハモらせるためでもなければ、ヴォイシングは自由ですからね。ソリストに合わせて合いの手的なバッキングをする場合も、もしかするギターやキーボードの教則本には常套句的なお勧めヴォイシングが紹介されているのかもしれませんが、基本的にはコードの各ノートを声部と捉えた上での声部連結という観点からは考えないと思います。

そういう意味では、それこそ『和声学入門』に出てきたこんな例もある訳ですが

duochorus.jpgtriochorus.jpg恐らく歴史的には、単旋律の音楽しかなかったのが、ハモるような対旋律を重ねていった結果、メロディとは別な、伴奏としてのコードが成立し、そのコードの連結の仕方として、ある程度メロディから独立した形で繋ぐ方法として機能和声が登場したのかもしれない、という見通しは、立ってきました。メロディとハモらせることがコードのヴォイシングにもつながるなら、対位法と関わってきそうですね。

とりあえず、『和声学入門』を一通りやり終えれば、『和声の歴史』に戻ったとき、ずっと話が分かりやすくなっているような気がします。

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現在読んでいるのはこの本です。



前回解いてみた練習問題で、結局「平行5度、8度」の禁則とはなんなのか?? という疑問が解決されませんでした。やはり前回確認したように、この禁則の定義自体は「2声が同時に進行するとき、完全8度または完全5度の並進行になること。」という至極単純なモノです。ですから、たとえば

C-E-G-B

G-B-D-F

なんていうコード・進行があったとすると、そのうちのC→GとG→Dという進行は、完全5度の並進行になるので、平行5度に該当することになります。

さて、結局問題となったのは

G-B-D

G-B-D

という同じコードの連結の場合、やはりG→Gという声部進行とD→Dという声部進行とが、完全5度の並進行、よって平行5度に該当しそうなモノなのに、『和声学入門』では模範解答にこの連結が示されている、ということです。これをどう考えればいいんでしょう?
現在読んでいるのはこの本です。



前回からの「途中までやってあります、終わりまで続けて書いてください。」という練習問題を続けます。
現在読んでいるのはこの本です。



これまでやってきた内容について、オイラが漠然と抱いている疑問点を示してみたいと思います。なにしろ「漠然」としているので、言葉で的確に示すことが出来るかどうか、ちょいと心配ですが(^◇^;)

冒頭p.8「和音」において、あるメロディと3度(あるいは転回音程の6度)となる音を加えて「二部合唱」にしたり、その二声いずれかから見て3度ないし6度となる音を加えて「三部合唱」にする例が示されることで、どうやらクラシック的には(少なくとも小学校で教えられるような音楽のレベルでは)
  • メロディがまずあり、それとハモらせた結果、先に曲全体の和声ができあがる
  • できあがった和声の、ある時点・箇所に注目し、そこに重なっている音のまとまりを和音として捉える・取り出す
ように思えるのです。ところが、一般に「和声」とは「和音の連なり、あるいは繋げ方」とされていますし、p.8でも最初に和音の説明をしている訳です。

このため、まぁ、鶏と卵のような些末な話と言われてしまえばそれまでなのですが、和音・コードが先か、和声・ハーモニーが先か? と言う点について、かなり曖昧にぼかして処理している、という印象を受ける訳です。

なぜこんな事が疑問なのかというと、根音とバス(低音)をどう定義するのかが、現時点で全く予想が付かないからです。

上で述べたように、あるメロディの各音と、3度ないし6度でハモる音を書き加えると言うことは、ラインに対してラインを重ねる事になります。こうしてできあがった2声のいずれかと、やはり3度ないし6度でハモるラインを作って重ね……なんて作業を繰り返し、3声ないし4声のラインが重なったものができあがるというのであれば、そうしてできあがった響きのある時点での音のまとまりについて、どの音が根音・ルートなのか? これは、今のところ
  • 和音は3度堆積でできあがる
との考え方に基づき、重なっている音をこの3度堆積に適うように並べた変えた際、最も低い音として位置づけ可能なものを、さしあたり根音と見なすことになるんだろうと思います。対して、転回の問題などもあるので、実際に成されているヴォイシングにおける実際の最低音をバス(低音)と位置づけるんでしょうから、バスと根音は異なる概念、と言うことになります。

他方、3度ないし6度を重ねる規則で更に音を下に重ねれば、3度堆積に適う形で音が追加されるので、新たな根音が示されることになるでしょう。『和声学入門』では「和音記号」と呼ばれるローマ数字って、それこそルートに基づいて与えられるんだから、「更に音を重ねてルートが変わったので和音記号も変わります」ってことでコロコロ変わってしまうと、「そのⅠの所」みたいな形で言われていたところが、「ルートが変わったのでⅥに変わります」的に、混乱することにならないか?? という気がする訳です。

そういう意味では、なんかシンプルな規則が提示されて、練習問題をこなすことで、何となく分かったような気にさせられているものの、実は説明抜きで馴染まされることでなし崩しになっているだけのような気がして、どうもすっきりしないんですよね。

しかも、いつの間にかメロディはどこかに行っちゃって、単純な和音が並べられているだけのような譜例で練習問題が提示されるし。

……って、オイラの言ってること、ちゃんと伝わるかなぁ? 結局は、3度堆積に適えば根音はどこまでも掘り下げることが可能になってしまうものになるので、そんなもん、なんの有り難みがあるのか分からん! と言うことになる訳です。変な話、Cメジャー・トライアドの箇所で、3度堆積に適うAを下に追加すると、ルートはCからAに変わるし、更に同じようにFを加えればそれが新たなルートになるし……。ルートって、その程度のものなの?? ところが、それこそBm7(b5)は、実はルートがGだ、なんて話もあるようなんだし、クラシック的な日本語だと「根音進行」って言うのかな? ポピュラーだと「ルート・モーション」となるんだろうけど、どちらにしても、ルートって相当大事な音であって、3度堆積に沿ってどんどん変えられるような軽いものじゃないような??

そういったことが、練習問題でごまかされて、結局説明抜きのなし崩しで〈洗脳〉されてる気分になってくるんですよね。これがそれこそ小学生とかの子供向け音楽〈教育〉としてなされてるのだとすれば、ちょいと怖いぞ!

というわけで、とりあえず答えは出せるけど、分かった気が全くしない、イヤーな感覚がつきまとっているんですが、とりあえず先に進んでみます。
もしかすると著作権などの面でヤバいかもしれませんが、オイラが自分で耳コピーしたAllan Holdsworth"Texas"のテーマの一部です。

Texas_A_C.jpg

基本的に参照したのはCDの音源です。



ベースについてはこの箇所ではDave Carpenterがエレクトリック・ベースでかなり細かく動いているため、なんてんだろう? 中心音というか軸音というか(ホント、こういった用語の使い分けが正直言って未だによく分からない)、そういう音で簡略化してあります。

また、耳コピーは、きっとそんなに正確ではないんだと思います。オイラがギターを弾けないため(^◇^;) コードのヴォイシングについてはギターの指版で考えることが出来ないんですよね。ですから、ギターをプレイする人に言わせれば、「こんなヴォイシングはあり得ないぞ」とか色々問題点を見つけられると思います。それでも、ホールズワースが相手ですから、規約的・慣習的なコードではない可能性が多々あるので、非ギタリストが純粋に耳に頼って考えればこうなる、という例として見て頂ければ。

また、コード・ネームは、行毎に独立させて書いています。慣習的にはスコアとして垂直に全体を見渡した上でコード・ネームを与えるべきなんでしょうが、オイラは行毎のヴォイシングの関係を考える上で、行毎に独立したコード・ネームを与えたり、コードとバスを分けて考えたり、スケール/モードとの関わりを考える方が、「オイラ自身は」現時点では分かりやすいので、こういう慣習に反した書き方になっています。

あと、何かもくろみがある訳ではないんですけど、いずれDTMにMIDIデータを渡す可能性も視野に納めて、人に見せるための譜面であればオタマジャクシに書かれないであろう残響(?)の類も明記しています。

分かる人が見れば「間違いだらけ」と言われ兼ねない譜面を示したのは、いくつか理由があります。

ここ最近和声関係のことをやっているうちに、水野が言うポピュラーでは「極論として調性とコードを別々に考えられる」(『水野式音楽理論解体新書 著者:水野正敏 ポピュラー音楽を学ぶ上で必要な理論体系の新機軸 』p.122)ことの重大さが、何となく分かってきた気がするのです。

恐らく、クラシック的には何らかのメロディが先にあって、そのメロディときれいにハモるような音を加えていくことで和声・ハーモニーが先に出来あるがるのであって、そういう和声をある時点で切って垂直に眺めた結果、後付でスタティックな和音・コードを取り出せるんだと思います。

対して、水野の言っていることを「極論」との留保が付いている事に留意しつつも文字通りに受け止めれば、メロディから判定される調性(むしろスケール)と、アレンジされるコード(及びコードが連なったハーモニー)とは、それなりに関係はあるものの、独立したものとして捉えられ得る、と言うことになるんだと思います。それこそメロディからスケールを割り出したら、メロディとハモるような声部・パートを作るかどうかは二の次で、スケールを踏まえた機能和声のケーデンスを機械的に割り当てることが出来て、せいぜいそれを分割・統合する(Ⅱ←→Ⅱ-Ⅴ)とか、代理コードに置き換えるとか、そういう考え方をするんだろうと思います。

その上で、ホールズワースの楽曲は、かつてはボーカリストにテーマのメロディを歌わせていたものの、近年のインスト志向、しかもアラン・パスクァとの共演を例外とすればギター・ベース・ドラムのトリオでプレイすることを前提とするかのような作編曲が成されていることを考えれば、仮にメロディを先に作曲しているのだとしても、そのメロディから判定されるスケールに適ったコードを機械的に当てはめるのでは、ライブで再現できないものになりかねないという事情が作用していると考えられます。すると、それこそホールズワースが言うところの「コード・ソロ」的な手法で作編曲されるのも当然のことと言えそうです。



そういう観点で、オイラが耳コピーした譜面を眺めると、メロディに相当すると見なしうるトップ・ノートの動きは、ソプラノの声部進行に相当し、コード・ソロ的に与えられた他の声部は、クラシック的な声部進行に近いものとしても捉えることが出来そうな気もするんですよね。

その上で、今取り組んでいる『和声学入門』と照らすと、平行5度の禁則に当たるような動きも見られるような気がするのも、面白いなぁと。あるいは、これはオイラの耳コピーが間違ってるだけ?

──だからなんだ?? と言われても何とも答えようがないんですが(^◇^;) そのときそのときにやっていることと、これまでに仕入れたこととの関連が気になるとしばらくそこで考えたりするので、〈計画的な〉勉強って奴がまるで出来ないオイラは(だから受験の類には向かない)、端から見ると非効率きわまりない方法で物事に取り組んでいる、という言い訳です(なんだそりゃ??)

ちなみに、万一このサイトをご覧の方で「オレも"Texas"を耳コピーしたぜっ」と言う方がいらっしゃれば、譜面を交換しませんか? お互いの譜面を比較することで、お互いに何か発見があるかもしれないし。
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HN:
べぇす
性別:
男性
趣味:
音楽(素人レベル)
自己紹介:
一応趣味でベースを弾く。

……けど、だれだっていいじゃん、オイラなんか!


◎音楽関係のプロフィール
・ベース歴: 15年以上
・譜面の読み書き: 不自由
・初見演奏: 無理
・利用譜面エディタ: Allegro 2007→Finale 2010
・利用DTMソフト: Music Creator 2

※楽理関係を扱ったことを書いていますが、上記のように音楽については素人です。書かれている内容を鵜呑みにされないよう、ご注意ください。
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